「普通」を見つめ直す

 「普通、こうするものだ」「これが普通でしょう」。こうした言葉を、普段よく耳にします。何かを判断する際、この「普通」という言葉が基準として使われることはよくあります。でも、その「普通」は本当に誰にとっても正しいのでしょうか?

「普通」の基準は人それぞれ異なるものであり、それが原因で意見の食い違いやトラブルが生じることもあります。今回はこの「普通」という言葉について、考えてみたいと思います。

「普通」の食い違いがもたらす影響

たとえば、親が長年住んでいた家をどうするかという問題。

あるご家族の話です。長男は「親の家を売却して整理するのが現実的だ」と考えました。一方、次男は「思い出の詰まった家を残してほしい」と願いました。

このときの兄弟の意見の食い違いは、「普通」という基準が異なることから生じていることがほとんどです。お互いが「これが普通だ」と思い込み、相手の価値観を理解する余裕がなければ、いつまでも平行線をたどることになってしまいます。

自分の「普通」を見直すために

「普通」という基準を見直すためのポイントを整理してみます。

・自分の「普通」を疑ってみる
まずは、自分が「普通だ」と思っていることがどこから来ているのかを振り返ってみます。それは家族の習慣や世間の価値観から来ているのか、それとも自分自身の思い込みなのか。一度立ち止まって考えるだけで、新しい視点が得られるかもしれません。

・相手の「普通」を聞いてみる
それぞれが異なる「普通」を持っているのは、むしろ自然なことです。大切なのは、自分の基準を押し付けるのではなく、相手の話に耳を傾け、その背景にある思いや事情を理解することです。

・共有できる「新しい普通」を見つける
完全に意見が一致することは難しいかもしれませんが、お互いが歩み寄ることで、新しい「普通」を作り出すことができます。一方的に誰かが譲歩するのではなく、全員が納得できる形を目指すことが大切です。

「普通」を手放す勇気

「普通」という基準を手放すのは簡単なことではありません。でも、それを乗り越えることで新たな選択肢が見えてくることがあります。

先ほどのご兄弟は、家を売却する代わりに、「家の写真を集めてアルバムを作り、精密な模型を造る」というアイデアが生まれました。次男は「家そのものがなくなるのは寂しいけど、これなら思い出が残る」と納得し、長男もそれに賛成しました。双方が少しずつ歩み寄ることで、家族としてのつながりを取り戻すことができました。

「普通」を問い直す

いろいろな場面で「普通」に縛られることがあります。自分の考えが正しいと思い込んでいたり、周囲の期待に応えようと無意識に行動してしまったりすることがあります。でも、立ち止まって考える時間を持つと、「本当にこれが正しいのか?」と自問自答することが増えました。

相談者のお話を伺うたびに、私自身も新しい視点に気づかされます。お互いの価値観を共有しながら解決策を探すプロセスは、私にとっても学びの連続です。

さいごに

「普通」とは便利な言葉ですが、それに縛られすぎると自分らしい選択肢を見失うことがあります。一度その枠を外してみることで、今よりもっと自分らしい答えが見えてくるかもしれません。

相続対策は事前準備が大切です。お早めにご相談下さい。

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この記事を書いた人

栗田 政和

栗田 政和

東京都府中市出身、現在は立川市内に在住。
中央大学法学部卒。
大学卒業後、住宅メーカーに32年勤務した後独立し、
行政書士栗田法務事務所を開業。
現在は行政書士兼相続コンサルタントとして、
立川近郊の相続問題に悩む方の助けになるべく奮闘中。
趣味はバイクツーリング、温泉巡り、幕末歴史小説、プロ野球観戦。