本日7月10日は私の誕生日であります。
この歳になると、バースデーイベントよりもむしろ、自分の歩んできた半生に漠然と思いを巡らせたりします。
そんなとき思い浮かぶのは原風景です。今回は原風景とノスタルジーのお話しです。
原風景とは
原風景とは幼少期の体験でのイメージで、人の心の中にある原初の風景だと言われます。
日本人の原風景としてよく紹介されるのは田舎の田園風景や、小川や里山などでしょうか。
確かにそのような風景の写真や映像を見ると、何故か懐かしい気持ちになりホッとします。
昭和の幼少期
私が生まれたのは終戦から21年後の昭和41年。東京オリンピックの開催後、日本が高度経済成長へと進んで行く中、私の幼少期は東京都府中市で育ちました。
当時、府中は三億円事件で世間を騒がせていたようでしたが、そんなことは関係なく毎日のように日が暮れるまで遊んでいました。
私の育った「昭和」は、遠い昔のノスタルジーそのものです。
自宅の前の砂利道は、雨上がりには水たまりにアメンボがやってきます。どこから来たのか、いつも不思議でした。
公園の秘密基地は、ドラえもんの世界同様、実際に存在していました。なぜか公園に古びた土管が置いてあり、その中にはみんなで持ち寄ったおもちゃやお菓子がストックされていました。
夏になると夕方、裏山のクヌギの木に蜜を塗ります。夜中、父と懐中電灯を持ってクヌギの木を見ると大きなノコギリクワガタやコクワガタが集まっていました。
なぜか近所には空き地がたくさんあり、子供たちの野球場として使われていました。
「三丁目の夕日」のような映像がはっきりと思い浮かびます。
いつしか砂利道はアスファルトに舗装され、公園の土管は撤去され、裏山でクワガタを見つけるのは難しくなり、野球場だった空き地には戸建てが立ち並び、街の様子は代わっていきましたが、この風景がまさしく私の原風景です。
バブルの頃
昭和の終わりから平成にかけて、大学へ入学して就職してからの数年間、世の中はまさにバブルのまっただ中でした。今では「バブル」は歴史の一コマですがその歴史の中にいた私にとってはバブルもまた、ノスタルジーです。
DCブランドに身を包んで通ったディスコ
千葉に出来た巨大な屋内スキー場、ザウス
リフト待ち60分の苗場、志賀高原
街を歩けば、どんどん増えていく企業のサンプル品
なぜだか、大学生でもバイトで買えたBMW
日本初の屋根付き球場、東京ドーム
いつしか、ディスコは死語となり、ザウスは撤退し、豪華サンプル品はポケットティッシュに代わりましたが、浮かれまくっていたバブルもまた、私の原風景のひとつです。
さいごに
戦争が終わって20年後に生まれ、バブルが終わって30年後の今、昭和、平成、令和と移りゆく中で、これからの10年後、20年後、30年後に振り返ったとき、新たな私の中の原風景を刻んでいくためにも、日々健康に暮らしていきたいものです。