「価値観の衝突」から始まる、もうひとつの対話

テレビのニュース番組で、トランプ大統領が打ち出した相互関税政策に対して、各国がそれぞれ異なる対応を取る様子が報じられていました。
その中で、コメンテーターがふと口にした「価値観の衝突」という言葉が、なぜか心に残りました。

国と国とのあいだでも、価値観の違いは大きな摩擦を生みます。しかし、それは特別な話ではないのかもしれません。
もっと小さな、もっと身近なところにも、静かに、でも確かに、価値観の違いは存在しています。たとえば、家族や職場、友人との間にも。

大きなニュースを眺めながら、ふと、そんな日常が重なりました。
今回は、「価値観の衝突」という言葉から、違いに出会ったときにできる、もうひとつの対話について考えてみたいと思います。

価値観が違うのは、あたりまえ

私たちは、それぞれ違う環境で育ち、違う経験をしてきました。
家族構成も、暮らしてきた地域も、大切にしてきたものも、少しずつ違います。

だから、考え方や感じ方が違うのは、とても自然なことなのだと思います。

それなのに、目の前の誰かと意見が食い違ったとき、つい、「なぜわかってくれないんだろう」と、心のどこかで寂しくなったり、苛立ったりしてしまうことがあります。

それは「違うのが当たり前」ということを、つい忘れてしまうからかもしれません。

自分とは違う考えに触れたとき、すぐに白黒をつけようとするのではなく、「ああ、この人はこういう景色を見てきたんだな」と受け止めることができたら、その先の対話も違ってくるような気がしています。

衝突は、終わりではなく「対話の始まり」

価値観がぶつかると、どうしても「どちらが正しいか」という土俵に乗りたくなってしまいます。しかし、正しさを競い合っても、心は離れてしまうだけです。

そもそも価値観は、正しいかどうかを競うものではなく、それぞれの「大切にしている想い」だからです。

自分とは違う考えに触れたとき、勝ち負けを決めるのではなく、「どうして、そう思うのか」を尋ねることができたなら、衝突は終わりではなく、もうひとつの対話の始まりになるのかもしれません。

価値観の違いに向き合うときに、心に留めたいこと

違いに触れたとき、つい「自分の考えのほうが正しい」と思ってしまうことがあります。でも、そこにこだわりすぎると、対話はすぐに行き詰まってしまうものです。

価値観の違いに向き合うとき、心に留めておきたいことがいくつかあります。

ひとつは、正しさを競わないこと。どちらが正しいかを決めるためではなく、お互いの想いをそっと差し出すこと。

もうひとつは、違いに蓋をしないこと。「まあ、どうでもいいよ」と、なかったことにしてしまうのではなく、「私には違って見える」と、正直に受け止めること。

そして、相手を変えようとしないこと。違ったままでも、「そういう考えもあるんだね」と認め合えたなら、それはもう、ひとつの大切なつながりなのだと思います。

相続や家族のご相談を受けるなかでも、価値観の違いに悩まれる方は少なくありません。
「本当はこうして欲しかった」「なぜわかってくれないんだろう」、そんな想いの奥には、きっと誰もが、「大切にしてきた何か」があるのだと思います。

だからこそ、違いを否定するのではなく、その向こう側にある「想い」に、静かに耳を傾けていきたいと思います。

さいごに

価値観が違う。
そのことで、すれ違ったり、衝突したりすることは、きっとこれからも、何度となくあるのだと思います。

でも、そこであきらめるのではなく、違いの向こう側にある「想い」に目を向けることができれば、たとえ意見は交わらなくても、たとえ考えは違ったままでも、その人と心のどこかで、静かにつながることはできる気がします。

相続対策は事前準備が大切です。お早めにご相談下さい。

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この記事を書いた人

栗田 政和

栗田 政和

東京都府中市出身、現在は立川市内に在住。
中央大学法学部卒。
大学卒業後、住宅メーカーに32年勤務した後独立し、
行政書士栗田法務事務所を開業。
現在は行政書士兼相続コンサルタントとして、
立川近郊の相続問題に悩む方の助けになるべく奮闘中。
趣味はバイクツーリング、温泉巡り、幕末歴史小説、プロ野球観戦。