成年後見の仕事を通して、さまざまな家族の姿に触れる機会があります。家族という言葉は、どこか近く温かな存在を思い起こさせますが、実際には、物理的な距離だけでなく心の距離も異なるものです。それでも、どれだけ距離があったとしても、心の奥底では「つながっていたい」と願うのが家族ではないかと感じます。
今回は、家族との心の繋がりについて考えてみました。
認知症と家族との「つながり」
認知症を患う方とそのご家族に接すると、そのつながりの意味について改めて考えさせられます。認知症が進行すると、本人は記憶が曖昧になり、遠い昔の美しい思い出だけが残ることがあります。一方、大切な人の顔や名前、思い出の数々を忘れてしまうこともあります。ですが、記憶には残らなくても、ふとした瞬間に感じる安心感や温かさが、何かしら心に伝わるのではないか。ご家族が会いに来るその「ひととき」が、その方にとっての支えになっているように思えます。
家族が訪れる意義
ご家族にとっても、施設で暮らすご本人への遠方からの訪問は容易ではありません。お仕事や家庭の事情、複雑な関係がある中で、足を運ぶこと自体が難しい場合もあります。それでも、何かの機会に会いに行く、その一歩には大きな意味があると感じます。たとえご本人の記憶に残らなくとも、その行動が「つながり」の証となり、何よりも心に触れる瞬間ではないでしょうか。
家族と後見人の役割
成年後見人として、被後見人の生活を支える中で、ご家族と連絡を取り合う場面も少なくありません。しかし、疎遠になっていたり、関わりを望まないとおっしゃるご家族もいらっしゃいます。そうした中で、家族が訪れる意義や「家族としての役割」について、考えさせられることが多々あります。直接的な連絡や頻繁な関わりがなくても、ご家族がふと顔を見せるだけでご本人の心に何かが伝わる瞬間があれば、素敵なことです。
さまざまなつながりの形
「見守り続ける」という行動にもさまざまな形があり、それは必ずしも日々の関わりを意味するわけではありません。少し距離を保ちながらも、たまに訪れること、または気にかけるだけでも、十分に家族の「つながり」として形になっている気がします。成年後見人としてその姿を目にするとき、そのつながりがどれほど本人にとって大きな安心感をもたらしているかを感じるのです。
距離感にとらわれない家族の証
家族の「つながり」には、ひとつの形にとらわれない多様性があると思います。特に認知症の方にとって、たとえ一瞬の記憶に過ぎなくても、ご家族が訪れたそのひとときが、かけがえのないものとして心に響いているのではないか。それは目に見えずとも、記憶に残らなくとも、確かな「つながり」として存在しているように感じられるからです。
さいごに
成年後見人としての業務の中で感じること。それは、ご家族がどのような距離感で接するべきかに正解はないということです。それぞれの事情や背景に応じて、さまざまなつながりの形があっても良い。家族としての証は、たとえ遠くからでも、何かしらの形で見守り続ける姿勢に現れるのだと信じたい。
成年後見人という立場から改めて感じるのは、「つながりの一瞬」にこそ意味があるということです。記憶が薄れていくとしても、ご家族が訪れるそのひとときのために歩み寄ること。その機会を大切にしたいものです。