日々ご相談をいただく中で、時折耳にする言葉のひとつに「遺書」があります。「遺言書」と同じ意味で使われることもありますが、法律の観点からすると両者は大きく異なります。今回はこの違いを整理しながら、「想いを伝える」という視点も含めてお話したいと思います。
遺書と遺言、それぞれの「役割」
「遺書」とは、法律で定められた形式を必要としない、個人の想いを記した手紙のようなものです。たとえば家族への感謝、謝罪、励ましや愛情表現など、法的な効力はなくとも遺された家族や親しい人の心に大きく響きます。
一方、「遺言書」は、法律に定められた形式に従って書かれるもので、財産の相続などに関する「意思」をはっきりと示すための法的書面です。こちらには明確な法的効力があります。
つまり、「遺書」は自分の気持ちや想いを伝えるもので、「遺言書」は財産などを誰にどのように遺すかを明確に伝えるものです。
「遺言書」という選択~なぜ法的な準備が必要なのか~
遺言書にはいくつかの種類があります。代表的なものは次のとおりです。
・自筆証書遺言 手軽に書ける分、書き方を間違えると無効になるリスクもあります。家族に法的トラブルを残さないためには、正確な知識が必要です。
・公正証書遺言 公証役場で公証人が作成するため、形式不備や紛失、改ざんの心配がありません。費用はかかりますが、最も安全で確実です。
・秘密証書遺言 内容は秘密のまま存在だけを公証人に証明してもらう方法ですが、内容の不備についてはチェックされません。
遺言書を作成する理由は、「自分の死後、家族に無用な争いや混乱を残さないこと」です。多くのご相談を受けるなかで感じることですが、財産の分配をめぐる誤解や争いは、「言葉が足りない」ことから生じる場合が少なくありません。だからこそ、正しい遺言書を準備することで、「争いの芽」を摘んでおくことが重要になります。
「遺書」「エンディングノート」という選択~伝えるということ~
法的な拘束力がないからといって、「遺書」や「エンディングノート」が役に立たないわけではありません。実際に私の元には、「亡くなった家族の遺書に書かれた言葉で救われた」という方もいらっしゃいます。
法的な手続きとは別に、こうした遺書やエンディングノートには、人生の終わりに向けて自分自身の気持ちと向き合い、「大切な人に何を伝えたいのか」を整理する役割があります。自身の人生を振り返り、伝えるべきことを言葉にしていく作業は、遺す側にとっても貴重な体験となります。
「想い」と「意思」をバランスよく伝えるために
これまで行政書士として多くの方の遺言作成や終活のお手伝いをする中で、私が繰り返し感じていることがあります。それは、「法的に正しい手続きをすること」と「心の中にある本当の気持ちを伝えること」は、どちらも同じくらい重要だということです。
私自身も、相談者の方々のさまざまな想いに触れ、常に心が動かされます。手続きだけが完璧であっても、そこに込められた想いが十分に伝わらなければ、家族間の理解や和解につながらないこともあります。逆に、想いだけが先行してしまうと、大切な財産や遺産をめぐって誤解やトラブルが起きることもあります。
だからこそ、私は遺言書という法的手段と、遺書やエンディングノートという想いを伝える手段をバランスよく活用することをおすすめしています。
さいごに
人は誰でも、自分がいなくなった後に、家族が穏やかに安心して暮らしていけるように願っています。ですが、「想い」は目に見えないものであり、ただ願うだけでは伝わりません。
ぜひ一度、「自分が何を伝えたいのか」「何を遺したいのか」を具体的に考える時間を作ってみてください。その結果、「遺言書」という形で意思を明確にし、「遺書」や「エンディングノート」で想いを丁寧に伝えることができれば、これ以上ないほどの「安心」を家族に遺すことができるはずです。
伝えたいことを伝えること。その難しさと向き合いながら、私自身もまた相談者の皆さまと一緒に考え続けていきたいと思っています。
※この記事は2022年5月5日に作成した内容を、最新情報や筆者の想いを反映してリライトしました。