先日、読んでいた本の中に、印象に残る一言がありました。
歳を重ねると、多くの人は、実際の年齢よりも少し若い感覚で自分を見ているようだ、という内容でした。
たとえば、七十歳の人は、自分の感覚では六十歳前後のつもりでいる。
そんな趣旨の話だったと思います。
読んだときには、なるほどと思う一方で、なんとなく少し他人事のようにも感じていました。
ところが、その言葉を思い出す出来事が続きました。
今回は、自分が思っている年齢の感覚と、現実とのずれについて考えてみたいと思います。

感覚の中では、まだできるつもりでいる
先日、高校時代の友人と飲む機会がありました。
その友人が、最近、公園の鉄棒で懸垂をしようとしたところ、まったくできなかったと話していました。
本人としては、感覚の中では、まだ数回はできるつもりでいたようです。
その話を聞いて、自分ならまだ少しはできるのではないか、そんな気持ちになりました。
そこで、休日に公園で試してみました。
すると、結果は同じでした。
昔の感覚では、何回かは普通にできるつもりでいたのですが、体はほとんど上がりません。
思っていた自分と、今の自分との違いを、その場で実感しました。
また、先日、コロナ禍以来、久しぶりにカラオケをする機会がありました。
せっかくの機会なので、得意なつもりでいた曲を歌いました。
ところが、思うように声が出ません。
歌いながら、自分でも以前のようには歌えていないことが分かりました。
これもまた、自分の感覚と現実との間に、思った以上の開きがあることを感じた出来事でした。
そのとき、あの本の一言を思い出しました。
ああ、まさにこういうことなのだろうと思いました。
自分の中の年齢は、案外変わらない
人は毎日を連続して生きています。
そのため、外見や体力は少しずつ変わっていても、自分の中の感覚は、それほど急には変わらないのだと思います。
昨日までの自分の続きとして今日を生きている以上、内側では、少し前の自分のままでいるようなところがあります。
だからこそ、懸垂もカラオケも、自分の中ではまだできるつもりでいたのだと思います。
ただ、その一方で、周囲からの見え方はまた別です。
自分では、もう少し若いつもりでいても、周囲からは年相応に見えていることが多いのかもしれません。
外見も、動き方も、話し方も、自分が思っている以上に、今の年齢なりのものとして受け取られていることがあります。
そう考えると、自分が思っている自分と、周囲から見えている自分とは、少し違っているのかもしれません。
自分ではそのずれに気づいていなくても、周囲にはすでに見えていることもあるのでしょう。
「まだ先」の感覚は、自然なことなのかもしれない
終活のご相談を受けていても、ときどき似たようなことを感じます。
まだ元気だから大丈夫、もう少し先のことだと思っていた、今すぐ考えることではないと思っていた。そうしたお気持ちをうかがうことがあります。
もちろん、そのお気持ちはよく分かります。
自分の感覚の中では、まだそこまで切実ではないのでしょう。
けれど、ご本人はまだ先のことのように感じていても、周囲から見れば、そろそろ考えたほうがよい時期に映っていることもあります。
そう考えると、自分の年齢に対する感覚と、現実との間にずれがあるのは、特別なことではないのかもしれません。
むしろ、多くの人にとって、ごく自然なことなのだろうと思います。
さいごに
自分では、もう少し若いつもりでいる。
あの本にあった一言は、読んだとき以上に、あとから実感を伴ってきました。
懸垂も、カラオケも、思うようにはいきませんでした。
少し残念ではありましたが、それによって、今の自分を改めて知ることにもなりました。
人は、自分で思っているよりも、少し若いつもりで生きているのかもしれません。
そして、その一方で、周囲はごく自然に、その人を年相応に見ているのでしょう。
そのずれに気づくこともまた、今の自分を見つめ直すきっかけになるのだと思います。
