私の住んでいる東京立川では、晴れた日には富士山がくっきりと美しい。
朝、家を出たときに西の方角に富士山がくっきり見えると心がウキウキします。
そして夕暮れ時の夕日と富士山のシルエットと宵の明星のグラデーションは絵葉書のようです。
今回は、いつも遠くから眺めるだけだった富士山に初めて登ったときのおはなしです。
いつかは富士山に登ってみたい
幼少期から東京の多摩で育ったこともあり、晴れた日に西の方角に富士山が見えることは、ごく日常の風景です。
富士五湖など、近くまで遊びに行ったときは、間近に見る富士山の大きさに圧倒されたりします。
一生に一度は富士山の頂上に行ってみたいと漠然と思ってはいたものの、準備も大変そうだし、登山など無縁な自分にはとてつもなくハードルが高く現実味のないものでした。
40を過ぎた頃、日本人としてやっぱり富士山に登ってみたいという想いが強くなり、中年に差し掛かった自分を戒め、少しずつ体力作りを始めました。
息子と奮闘
2009年の夏、43と中2の父子二人で初めての富士山登頂への挑戦です。
当時、富士登山ブームもあって5合目の登山口には外国人も含め多くの人であふれかえっていました。ガイドブックを熟読し、用意周到でスタートです。
お昼過ぎに5合目をスタートし、一歩一歩進んで行きます。標高が上がるにつれ空気が冷たく、薄くなっていくのがわかります。高山病に注意しながらゆっくり呼吸をしながら登っていきます。下を見ると山中湖がくっきりといい眺め。焦らずに一歩一歩です。
1日目のゴールは8合目の山小屋です。夕飯のカレーライスをたいらげて翌朝のご来光に備えて身体を休めます。
2日目の出発は早朝というより、まだ満天の星が降りそそぐなか、ご来光に向けて頂上を目指します。とてつもなく寒いなか、一歩一歩ゆっくり呼吸をしながら進んでいきます。
東の空がうっすらと明るくなったころ、頂上に到着です。
雲海が赤く色づき、そこから太陽が顔を出したとき、となりの息子とハグをして感動したのは特別な思い出です。
富士山の頂上を満喫したあとの下山路も新たな発見と経験のオンパレードでした。
頂上からの眺め
いつも遠くから眺めていた富士山のてっぺんにいることが、なんとも言えない達成感と、本当の意味で「俯瞰」を実感したひとときでした。
立川から富士山が見えるのだから、ここから家が見えるかも!なんて冗談をいいながら東京方面を眺めたり、東西南北それぞれの景色は、飛行機の窓からの景色とは別物で特別なものでした。
登ったあとの富士山の見え方
振り返ってみると、初めてのことにチャレンジする前のドキドキとチャレンジしたあとの見え方は大きく違って見えるものです。
遠くから眺めるだけだった富士山は、一度てっぺんまで行ったことで見え方が変わりました。
それは、登山下山をしながら見た景色や一歩一歩進みながら感じた気持ち、空気感が経験として刻まれているからなのかも知れません。
経験があるからこそ、未経験のひとにも見た目だけではなく、気持ちも含めて富士山を語ることもできる気がします。
俯瞰するということ
遠くから眺めるだけだったものが、そこに飛び込むことによって、全体像をうっすらと見つめることができたりします。
仕事を進めるにおいて、いつも意識しているのは「木を見て森を見ず」にならないように全体を見渡すことです。富士山のてっぺんで「俯瞰」を実感したことが影響しているかどうかは分かりませんが、全体像を意識することは大切ですね。
最後に
富士山にはじめて登頂した翌年、今度は小5の息子も連れて2度目のてっぺんに登りました。1度目の経験が心のゆとりを生み、またまた多くの発見をすることができました。