先日、約40年ぶりに高校時代の同窓会が開催されました。
母校の最寄り駅近くにある、洒落たカフェ&ダイニングを貸し切っての開催で、当日は約90名が集まりました。
再会の喜びと懐かしさ、そしてそれぞれの“いま”が交差する―
そんなあたたかい時間が、ゆったりと流れていました。
みんなそれぞれ歳を重ねてはいるけれど、顔を合わせて話し出すと、すっとあの頃に戻れるような、不思議な感覚もありました。
当日は、受付を手伝ってくれた人、会場の写真を撮ってくれた人、この日のためにバンドを結成して演奏を披露してくれた仲間もいて、ひとりひとりの“ちょっとした動き”が全体を支え、場をあたためていたことが、とても印象に残りました。
そして、そんな場づくりの中心にいたのが、同級生のTくん。
彼が中心となって、声をかけ、動いてくれたからこそ、今回の同窓会が実現しました。
「声をかけること」や「人とのつながり」って、やっぱり大事だなと、今回あらためて感じました。
今回は、この出来事を通して日々の仕事とも少し重ねながら、思うところを綴ってみたいと思います。

再会は、誰かが動いたから
きっかけは、昨年の秋ごろ。
Tくんが、飲み仲間と話している中で「そろそろ同窓会をやってみない?」と口にしたのが始まりでした。
そこから少しずつ、でも着実に、動き始めました。
もともとあったFacebookのグループを起点に、LINEグループを立ち上げ、さらに「サークルスクエア」という連絡用のウェブサイトも整備。
音信不通の仲間にも「誰か連絡先を知らないか」と呼びかけながら、つながりを一人ひとりたぐり寄せていくように、丁寧に準備を進めていきました。
最終的に、当日の出席者だけでなく、欠席者も含めて110名ほどが登録する場となりました。
まさに、ひとつの再会の裏には、ひとりの行動力と粘り強さがありました。
名札一枚が記憶をつなぐ
受付では、当時のクラス名と氏名が印字された名札がひとりひとりに用意されており、その場で写真を撮影し、後日みんなで閲覧できるように電子アルバムが準備されていました。
その名札のおかげで、40年という歳月が一瞬で縮まり、「ああ、あの時の○○だ!」と記憶の扉が次々と開いていく感覚がありました。
笑い方、話し方、ちょっとした仕草……。
懐かしさとともに、「変わっていないな」と思える部分がそこかしこにあり、気づけば、空気も距離も自然とあの頃に戻っていくようでした。
先生のひと言が、胸に残る
そして、担任だったK先生とも、40年ぶりの再会を果たすことができました。
私の顔を見るなり、「あら、こんなに背が高かったかしら?」と笑顔で声をかけてくださり、すぐに思い出していただけたことが、思いがけずうれしい瞬間でした。
変わらぬ穏やかな語り口、ゆっくりとした口調に、あの頃の面影がそのまま重なって、再会できたことのありがたさを、静かにかみしめる時間となりました。
声をかけることの意味
帰り道、あらためて思いました。
Tくんの行動力や、細やかな配慮には本当に感心させられました。でも、それ以上に心に残ったのは、「声をかけること」の尊さです。
誰かが声をかけなければ、つながりはそのまま止まってしまう。
けれど、たったひとつの働きかけが、大きな再会を生むこともある。
今回の同窓会は、そのことを教えてくれる出来事でした。
それは、相続の現場にも通じている
こうした感覚は、私が行政書士として日々のご相談に向き合う中でも、よく感じることです。
相続や終活の場面では、「話したいけど、どう切り出せばいいか分からない」「何から始めればいいか分からない」という声をよく耳にします。
準備の第一歩は、“何をするか”よりも、“誰かに声をかけること”から始まるのかもしれません。
関係が切れていたのではなく、つないでいなかっただけ。
今回の同窓会で得た実感は、まさにその延長線上にあるような気がしています。
さいごに
今回、「動くこと」「声をかけること」、そして「人と人との関係をつなぎ直すこと」の大切さをあらためて感じました。
行政書士として日々の相談に向き合う中でも、制度や手続きだけでなく、その前段階にある“人の想い”や“関係のあり方”を大切にしていきたい。
そんな気持ちを、思い起こさせてくれる貴重な機会となりました。