相続や終活で感じる『心配』の正体

「最近、親のことが心配で……」
「離れて暮らす家族のことが、どうしても気になってしまって」

日々のご相談の中で、そうした言葉を耳にすることがあります。
“心配”という感情は、誰にでもある自然なものです。ですが、その言葉に目を向けてみると、少し違った意味が浮かび上がってきます。

心配は、「心を配る」と書きます。不安や気がかりといった内面的な感情に見えて、その本質には、「誰かを思う」「相手を案じる」といった、外へ向けた働きかけがあるように思えます。

今回は、「心配」という言葉に込められた思いを通して、相続や終活に向き合う中で大切にしておきたい視点について考えてみました。

心配の奥にあるもの

人は、大切な相手との関わりの中で、さまざまな感情を抱えます。
将来のことが不安になることもあれば、相手の状況が気になって、じっとしていられなくなることもあります。

そのどれもが、「自分のこと」として捉えているからこそ生まれる感情です。
心配とは、ただ心を乱されることではなく、相手に気持ちを向けている証なのかもしれません。

たとえば、親が高齢になり、そろそろ今後のことを話し合ったほうがよいと頭では分かっていても、気軽には切り出せないことがあります。
「本人の気持ちを傷つけてしまわないか」「まだ元気なのに、不快に思われないか」
そんな気遣いが、言葉をのみこませてしまうのかもしれません。

ですが、その背景にあるのもまた、心を配っているからこその“心配”なのだと思います。

気持ちと行動のあいだ

相続や終活にまつわる話になると、「まだ何も話していなくて」「そのうちとは思っているのですが」と前置きされる方も少なくありません。

すぐに動ける状況ではなくても、心のどこかで「そろそろ考えておいたほうがいい」と感じている。
それが、家族に対する心配というかたちで表れてくることもあります。

ときには、その気持ちをどう伝えればよいのか分からず、立ち止まってしまうこともあるかもしれません。
しかし、心配する気持ちは、それだけ誰かを思っているということです。
その気持ちに気づくことで、ほんの少し行動のきっかけが生まれることもあります。 「心配しているだけでは何も変わらない」という言葉を聞くことがあります。
ですが、心が動いているということは、すでにその人のことを思っているということ。
それ自体が、大きな意味を持っているような気がします。

小さな一歩が、状況を動かすことも

心配は、ちょっとしたきっかけで膨らんでしまうこともあります。
ですが、その中には「何かできることはないか」という前向きな思いが含まれていることも多いように思います。

電話をしてみる。
書類をひとつ整理してみる。
誰かに話を聞いてみる。
そうした小さな一歩が、状況をちょっとだけ動かしていくことがあります。

ご相談に来られる方の中には、最初の一歩を踏み出したことで、少しずつ気持ちが落ち着き、次に何をするかを冷静に考えられるようになったと話される方もいます。

心配は、誰かのことを思う心のあらわれです。
その気持ちを否定する必要はなく、むしろ受けとめることが、次の行動につながっていくように思います。

さいごに

心配という感情は、決して悪いものではありません。
むしろ「大切な人との関わりを考えるきっかけ」として、心の奥から湧き上がってくるものなのかもしれません。

その気持ちを否定せずに受けとめるところから、少しずつできることを見つけていけたら。
そんな思いを大切にしながら、日々のご相談に向き合っています。

相続対策は事前準備が大切です。お早めにご相談下さい。

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この記事を書いた人

栗田 政和

栗田 政和

東京都府中市出身、現在は立川市内に在住。
中央大学法学部卒。
大学卒業後、住宅メーカーに32年勤務した後独立し、
行政書士栗田法務事務所を開業。
現在は行政書士兼相続コンサルタントとして、
立川近郊の相続問題に悩む方の助けになるべく奮闘中。
趣味はバイクツーリング、温泉巡り、幕末歴史小説、プロ野球観戦。