父をテーマに私小説風に回想する私の「初めての相続」の最終回になります。
父との突然の別れのあとに待っていたのは数々の「相続」のためにやるべきことでした。
やらなければならないこと
お葬式後、忌引休暇も終わり少しずつ日常が戻ってきました。やらなければいけないことがたくさんあります。
お墓のことや、父の会社のこと。公的な手続きなどなど。
父の会社のこと
父は府中駅前で不動産屋を営んでいました。免許番号は(7)でしたから、独立して20年以上だとわかります。(当時は3年更新)
私が住宅メーカーに就職したのも「いずれは、」という気持ちが影響していたことも少なからずありました。そして、7月の私の25歳の誕生日には父の会社の役員に就任しておりました。
だからといって、具体物にどのような仕事や取引をしているのかは検討もつきません。
そのような状況で8月の終わりから数日間、駅前の不動産屋は休業のままでした。
株式会社として、宅建業者として、取引先やお客様にご迷惑を掛けないために、どのようにしなければならないのか、気持ちだけが焦ります。
今振り返ると、社会人2年目の私と家族に実に多くの大人のひとたちが手を差し伸べてくれました。父の旧友や不動産仲間、顧問税理士・行政書士、私の会社の総務部長をはじめとする上司の方々です。
まだまだバブルの名残のあった時期に、この会社をどのようにするのかについて真剣に考えました。関係者や多くの方々の助言をいただき、家族みんなで話し合い、出した結論は「清算する」でした。
父が1ヶ月前にどのような想いで長男の私を役員に就任させ、どのような未来を描いていたのかは、聞くことは出来ませんでしたが、現実問題として今このタイミングで半人前の私が事業を承継することは無謀だと判断しました。
会社の清算
どんなにちっぽけな会社でも、その会社を清算するには一定の手続きが必要です。
株主総会の特別決議による解散決議と議事録
清算人として選任
税務署への諸々の手続き
債権者保護手続きのための官報公告・・・
顧問の先生と手続きを進めるのと同時に、オフィスの解約と原状回復も必要でした。
原状回復のためのオフィスの事務用品を片付けながら大学入試の合格発表の日のことを思い出しました。
大学の掲示板を確認し母に合格の報告を電話でしたあと、滅多に行かない父のオフィスまで報告に行くと、父はすかさず近所の酒店からビールを買ってきました。
応接のソファーでグラスを傾け、少し照れながら2人で乾杯したひとときが蘇ります。
お墓のこと
元々は8月の終わりに「お墓をちゃんとする」ために山口への帰省を予定していたわけです。ですから父の会社の清算と同時にやらなければならないことは「お墓をちゃんとする」ことでした。
残された家族にとっては父のいない山口はあまりにも遠いため、東京に墓を移すことも考えました。しかし、生前に父が母に言っていた山口への想いを受け継ぐために墓を新しくすることにしました。
三十三回忌
生前に父が母に言い残した言葉は「お墓をきれいにして、数年に一度でも山口までお墓参りに来れたらなら、ご先祖の供養になるね。」でした。
父の言葉によって、遠のいていた山口はとても身近になっていきました。
平成3年に建立したお墓には、父と母も眠っています。そして今年の夏、父の三十三回忌には父のことを知らない孫たち8人を含む、兄妹3家族14人での供養となりました。
東京で生まれて東京で育った私たち家族にとって、父の残した言葉が今でもご先祖との架け橋になっているような気がします。
さいごに
3回に分けて私の「初めての相続」を回想してみました。
今思うと突然の出来事でいちばん苦労したことは、一番頼りたい父に相談することが出来なかったことでしょうか。
奇しくも今、相続や事業承継を中心としたサポートを生業としています。私が経験して感じた想い一つ一つがご相談いただく皆さんに役立てられるとしたら、今いるこの場所は必然なのかも知れません。